那部智史さん
NPO法人 AlonAlon
代表1969年、東京都出身。城西大学卒業。大手企業を退社し、IT会社起業を経て、2013年より障がい福祉事業に入る。特定非営利活動法人『AlonAlon』理事長。『A&A』取締役社長。不動産投資会社「Taito Style」代表。超党派障がい者所得倍増議員連盟事務局代表。愛宕ロータリークラブ会長など、福祉事業のために尽力する日々を送り、メディアでの発言も積極的に行っている。
自分の身に起こったことが、受けとめられなかった
温室の中には、美しい純白の胡蝶蘭が咲き誇っていた。千葉県、富津市。緑濃い地にその『オーキッド・ガーデン』はある。運営するのはNPO法人AlonAlon(アロンアロン)。代表の那部智史さんが立ち上げた、知的障がいを持つ人たちが働く※B型事業所である。
室内にはゆるやかな音楽が流れ、従業員それぞれが、苗から大輪を咲かせるまでの工程にこつこつと取り組む。その丁寧な仕事ぶりが良質な花を生み出し、高い評価を得て、いま胡蝶蘭市場で急成長を続ける。
平成30年度の厚生労働省のデータでは、就労可能な障がい者の平均月収は16.118円、時給計算すると214円という低さで、わが国の憲法第25条にある『健康で文化的な最低限の生活を営む』とは、ひどくかけ離れた数字であるとわかる。だがこの事業所では、最高月10万円の工賃の支払いを可能にした。
立ち上げの理由の第一は、那部さんのご子息にあった。
「私が25歳のとき、授かった男の子に重い知的障害があったのです。3歳ぐらいになっても言葉が出ない。障害があるとわかって、青天の霹靂だったといいますか、大変なショックを受けました。自分の身に起こったことが……うまく理解できなかった」
当時、那部さんは某大企業で、高成績を生む営業マンだった。皆に認められ、羨ましがられる存在であったはずが、子供の出生後、いつのまにか「かわいそうな那部さん」になっていることに気づいた。
「かわいそうだね、という言葉がボディブローのように効いてくるんです。次第に自身もかわいそうな人間だと思うようになってしまった。連れて外出しても、ひたすらまわりに迷惑をかけないようにと、気をすり減らさざるをえない。どこに行っても肩身が狭い……。そして同じ立場の親御さんたちは皆、そうだと思いますが、親である自分は先に死んでしまうのに、子供の将来をどうしたらよいのか……苛まされました。だんだんと鬱のようになってしまって、会社にも行けなくなってしまい、半年、休みました」
この苦しさから「いかにして逃れたらよいのか」。考えたあげく那部さんは「そうだ、お金持ちになろう、とどこかで聞いたCMみたいなことを思って。決意しました」と語る。突飛な笑い話のようだが、精神的に大きな拠り所が必要だった。もともとビジネス・スキルの高い、パワフルな人間。
「勤めていた会社に出資をお願いし、29歳のときIT会社を起業。3人で始めて10年後には子会社を含め、従業員150人の会社に成長させました。売上高は400億円ぐらいいきました」
大きな家に住み、外車を買い…贅沢三昧の毎日を過ごした。
「心の穴を埋めるがごとくでした。ところがそんな生活を10年ぐらい続けると、お金で心は埋まらない、息子がNGではなく、彼のような子を受け入れない社会がNGなのだと初めて気づいたんです。途端に自分のしていることが無価値に思えた。次第に福祉事業を始めて、社会貢献したいと考えるようになりました。
その時、ヒントになったのが胡蝶蘭だったんです。自分の会社が伸びていく時に、山のように胡蝶蘭をいただいたり、贈ったり、返礼したりした経験からで、年間、相当数の蘭が流通する文化が日本にはある。お祝い事だからディスカウントされることもない。この栽培を障害を持つ人たちの職業にできないものだろうかと」
決めるとすぐに動く性格だ。会社をすべて売却して東京から千葉県の房総に移り住み、まずは「生活の安定を考えて」、売却利益を元に不動産賃貸業を始めた。同時に胡蝶蘭の販路の開拓を開始する。
「一生懸命に栽培しても、売れなければ働き手の給金にならない。まず出口を作ることが大前提でした」
このあたりの経験は、ビジネスの戦場で生きて来た人の、キャリアが生きた。やがて本来の自身が持つ明るさ、強さが戻って来た。
「とにかく動き回って、ある大企業の特例子会社(障がい者雇用を促進するための子会社)で胡蝶蘭栽培をしていると知った。訪ねるうちにその指導をしている『アートグリーン』さんという会社を紹介されたのです。その会社は全国に物流センターを持っていて組むことができました。その後、こことうちとで『A&A』という、AlonAlonの子会社を作りました」
同時に別の取引先も、次々に開拓していった。胸にあったのは突き進んでいく熱い志のみ。事業所の土地探しで反対にも遭ったが、やがて富津市の地元のロータリークラブ会長の協力を得て、1千坪の土地を安く借りられることになった。大がかりな温室制作が始まり総工費7000万円のうち、半額ほどの助成を日本財団から受けることもできた。追い風に乗った。
「始めたら、もうやり遂げるしかないですから」
それから4年後の2017年、福祉事業所として認可が下り、本格的なスタートを切った。ちなみに『Alon Alon』とはバリ島の言葉で”ゆっくりゆっくり”の意味を持つ。
那部さんの考え出した、このビジネスの形は独特だ。たとえば1万円分の購入(寄付)で、一株1000円☓10株の「バタフライ・サポーター」となる。半年をかけて育てられた胡蝶蘭は、1本立て、もしくは希望によりアレンジメントされて、サポーター自身、もしくは贈りたい人のもとへと届く。残りの9株は応援企業に販売される。(2万、3万、5万、10万円とコースがあり、花の立数も変わる)。現在、2000人余のサポーターがおり、応援してくれる企業は2000社。「半間で100社増えている」勢いだという。200坪の温室で栽培、出荷できるのは約1万本。昨年は売上が1億円を超えた。
温度や湿度、空気調節ほか、高度な機能を施された温室内で、「工賃が高くてうれしいです」「お花、きれいで好きです」と、エプロンをした従業員の彼らは、素朴すぎるほどの笑顔を向けて話してくれた。ほとんどの人が電車で通い、朝9時のミーティングから始まり、夕方4時ごろまで、昼ごはんや休憩、体操時間などをはさみながら働く。困ったことがあれば、スタッフや、地元のボランティアの方たちがサポートに入る。時には皆で外食にも出かける。ちなみに那部さんは不動産投資会社代表というポジションがあるため、この事業での給料は受け取っていない。
「先月、10月には、2つめの直営農園が完成して、稼働を始めました」
拡大していくこの先を考えて、富津にグループホーム(障がい者が日常を暮らせ、働きに行ける寮のような建物)も建設した。増えていくだろう利用者が事業所に通いやすくするためと、障がいのある身に家を貸す家主が少ないという現実を知っているからだ。そして今後も増やしていく予定だという。
大手企業6社と組んで貸農園事業もスタートした。
「障がい者を胡蝶蘭栽培の立派な職人に育てて、雇用してもらうためです。千葉の我孫子市に帝人さんによる『帝人農園』ができて、うちがプロデュースする形で温室にすでに1万本を作っています。昨年はうちからふたりが就職しました。この形を東京、横浜、名古屋、大阪、福岡……と全国に広げていくことが決まっています。また胡蝶蘭だけでなく、農園での野菜、果物作りにも力を入れ始めていて、マンゴーほか栽培種について試行錯誤しているところです。国の農福(農業と福祉)連携の政策が始まっていますから、その適正化、よきビジネスモデルとして走りたいのです。今日もこれから農水省の方々が見学に来られますし、いずれは上場を目指しています」
未曾有のコロナ禍に見舞われた今年、祝賀行事がなくなり、注文のキャンセルが相次いだ。開花しているものをどうするか。むざむざムダにはできない。那部さんは3本立ての鉢をすべて返礼品のように1本立てに作り直し、「個人向けの販売に切り替えてすべて売り切りました」という。困難にぶつかってもめげることなく、すばやくよき方向へと転換する。
「皆が黙々と植え替えてくれる姿に、胸が熱くなりました。一鉢、一鉢を大切に思っているのがわかって」
那部さんには、AlonAlonの仕事について、ふたつの命題があるという。この思いが凄まじい勢いで関係各所を巻き込み、事業を拡大していく力の源となっている。
「ひとつは、障がい者の所得倍増計画です。現在、世の中の重度障がい者の働く場所はB型作業所が主ですが、語弊を恐れずに言えば、知的障害を持つ人たちを集めて頭数をそろえて、国からの保証をもらっているというのが現実です。むろん働く場所があるのは絶対的に必要なことですが、利用者たちは内職か下働きのような仕事を与えられ、かつ工賃があまりに低い。自立させられるにもかかわらず、そうさせないのは、自立されたら経営ができなくなる、そんな側面もあるからなんです。作業所と利用者との利益が相反している。
この両方の成功のベクトルを一緒にしなければならない。WinWinといいますが、私の始めた事業形態ならその矛盾を解消できる。就Bの作業所はもっと専門化していけるはず。うちが続けていけば、類似の事業者が出てくるかもしれない、それでいいんです。最終目標は障がい者をめぐる意識、そして社会全体が変わっていけばよいわけですから」
この社会への高い目線がどこから来るものか、尋ねるとわずかに考えたあとで「父が産経新聞・政治部の論説委員でした。子供のころ、総理官邸に連れて行ってもらった記憶などがあります。そんなことも少しは影響しているかもしれませんね」と、笑った。
そしてもうひとつの信念こそが、那部さんがいちばん大切にしている、仕事の”核”である。
「共感のできるストーリー、物語です。立派な花屋さんに並ぶ胡蝶蘭にはないストーリーが、うちにはありますという。営業をする際に『包装紙が立派な胡蝶蘭と、ストーリーのある胡蝶蘭とどちらを選ばれますか』と尋ねます。すると当然のようにストーリーのあるものを選んでくださる。障がいのある人たちが真面目に懸命に育てたお花であること、その工賃になること、そしてもう1点は、来年の母の日、父の日、祖父母に、ある方の誕生日に、仕事関係に、大切な友人に……お贈りすることができます、ということです。ふたつの思いを伝えることができる」
普通、栽培農家は直販を嫌い市場へ出荷する。だが、AlonAlonは直販することで、購入者との信頼関係を深めていく。何より心が添えられるからだ。
「うちは基本的に市場には売りません。共感してもらえそうにないお花屋さんに、うちの子たちが育てたお花を行かせたくないんです。それは、障がい者の尊厳を守ることでもあるんです」
ここまで辿り着いた、そしてこれらからも奔走していくだろう人の言葉だ。障がいがあるなしに関わらず、尊厳は生きるすべての人たちに与えられ、守られるべきことなのだろう。いま、晴々とした表情で言う。
「息子を授かったことでの、これは私の人生のミッションだと、強く思っています」
※就労継続支援B型事業所
障がい者総合支援法に基づいた、福祉サービス事業。主に企業に就職することが難しいとされる障がい者が、就労訓練を行いながら工賃をもらい働くことができる。
AlonAlon オーキッドガーデン
千葉県富津市西大和田1234-2
www.facebook.com/kyonan.alonalon
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『人、語りて』編集長
静岡県生まれ。出版社・雑誌編集を経てフリーランスとなる。女性誌にて人物インタビューを執筆。女優、俳優、作家、音楽家、画家、映画監督、文化人等、表現世界に生きる人が多い。その他、アスリート、起業家、各分野の職人など、取材数はのべ3000人を越える。ていねいな取材と文章で、その人の本質に光を当て、伝えることを至上の喜びとする。単行本の構成、執筆、出版プロデュースも行う。
Works/『Precious』『Domani』(小学館)、『エクラ』(集英社)、『With』(講談社)、『家庭画報』(世界文化社)、『婦人公論』(中央公論新社)、『JUNON』(主婦と生活社)、『ゆうゆう』(主婦の友社)、『VOGUE』『GQ』(コンデナスト・ジャパン)、『SKYWORD』(JALブランドコミュニケーション)、『ボン・マルシェ』(朝日新聞)、『Yahoo!インタビュー』ほか。近著にインタビュー集『硬派の肖像』(小学館)など。第1回ポプラ社小説新人賞特別賞を『喪失』にて受賞