葛西甲乙さん
「27 COFFEE ROASTERS」代表
1971年生まれ。1997年、藤沢市辻堂で「かさい珈琲」を開業する。2007年に日本スペシャルティコーヒー協会(SCAJ)ローストマスターズ委員となる。2008年にカップ・オブ・エクセレンス国際審査員に選出されて以降、中南米各国で審査を務める。2013年に店舗をリニューアル、スペシャルティコーヒーの自家焙煎店「27 COFFEE ROASTERS」として新たなスタートをきった。SCAJテクニカルスタンダード委員、JBC(ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ)センサリージャッジ、COE(カップ・オブ・エクセレンス)国際審査員。
人生を変えたスペシャルティコーヒーとの出会い
神奈川県藤沢市の辻堂という町に、コーヒーロースター「27 COFFEE ROASTERS」はある。駅近でもなく、大通り沿いでもなく、「あれ、こんなところに」という場所にあるこぢんまりした店だが、扱っているのは世界最高峰の特別なコーヒーで、湘南界隈のみならず日本全国にファンをもつ、知る人ぞ知る名店なのである。
代表の葛西甲乙さんが、前身である「かさい珈琲」を立ち上げたのは、1997年のこと。川崎で工場を営んでいた父親が、業績不振で事業をたたむことになり、じゃあそのお金で商売やってみるかと、「勢いで」脱サラ。特にコーヒーに興味があったわけではなかったが、たまたま知人から紹介されて、自家焙煎コーヒー豆の店をオープン。どこかに弟子入りすることもなく、自己流で焙煎した豆を、細々と売る日々が続いた。
「コーヒーが好きではなかったんです(笑)。なにがおいしいのかわからなかった。ただ、大好きな辻堂で、サーフィンしながら仕事もして暮らしていければいいか、と」
それから20年が過ぎた。「不純な動機」で始めたコーヒーの仕事で、葛西さんはどうなったかというと、世界で生産されるコーヒーの0.5%しかない最高峰、「スペシャルティコーヒー」の世界において、日本スペシャルティコーヒー協会のローストマスターズ委員、スペシャルティコーヒーのワールドカップとも称される国際審査会「カップオブエクセレンス(以下、COE)」国際審査員、「ジャパン バリスタ チャンピオンシップ」ジャッジほか、数々のそうそうたる肩書きをもつ第一人者である。
「きっかけは、2003年に立ち上がったばかりの日本スペシャルティコーヒー協会(SCAJ)主催のセミナーに参加したことです。カッピングという、コーヒーの味や香りを評価するための技術を学んだのですが、そこで体験したコーヒーの風味に衝撃を受けたと同時に、それまでひとりで模索を続け、暗いトンネルの中にいた自分の仕事に、一筋の光を見出した気がしました。『品質は嘘をつかない。そして、そのことを信じて歩んで行けば、必ず道は開ける』と」
2008年。葛西さんはスペシャルティコーヒー最高峰の国際品評会「COE」ニカラグア大会の国際審査員に選ばれる。スペシャルティコーヒーの世界でやっていくと決めてから、ずっと夢に見ていた大きな目標だった。生産国を訪れ、現地でカッピング審査をし、その国のその年一番おいしいコーヒーを決めるCOEは、世界中のコーヒーバイヤーが注目する大会で、スペシャルティコーヒーの合言葉「 From Seed to Cup 〜コーヒーの種から消費者が手に持つカップまで〜」を実践するためのプログラムでもある。大手の流通では埋もれてしまうがちな小さな生産者に光を当てており、選ばれたコーヒーは競売にかけられ、落札額のほとんどが生産者に還元されるという、フェアトレードが行われている。
ニカラグアを皮切りに、ボリビア、ホンジュラス、コロンビア、ルワンダ、ブルンディ、コスタリカ、と、葛西さんは毎年のように国際審査員として世界の生産地を訪れた。そしてとうとう、運命の出会いを果たす。地は、中米・ホンジュラス。葛西さんのコーヒー人生が、大きく動き始める。
日本ではあまり知られていないが、ホンジュラスは世界6位の生産量を誇る、コーヒーの国である。日本の約1/3の国土に、約800万人の人が暮らすが、そのうち100万人以上がコーヒーを中心とした農業に従事している。
葛西さんが初めてホンジュラスを訪れたのは、2008年のこと。
「その年、COEホンジュラス国際品評会に審査員として参加した私は、優勝したコーヒーを味わったとき、一瞬にして、それまで経験したことのない風味の虜になりました。しかし、当時はまだまだバイヤーとして力がなかったから、そのコーヒーを少ししか買い付けることができなかった。欧米のロースターがコンテナ単位(約300本/69kg)で買っていくのに、自分は30本も買うことができない…。とても悔しい思いをしました」
しかし、ホンジュラスの人たちは、日本からやってきた小さなロースターにも、大手と同じ目線で接してくれた。「僕たちのつくったコーヒー豆をきちんと理解して、評価してくれるなら、喜んでコーヒー豆をわけるよ」。そう言ってくれたときの感動を、葛西さんは今でも昨日のことのように覚えている。
そして、2016年。8年ぶりに審査員として参加したCOEホンジュラス大会で、その“事件”は起こった。再び素晴らしい風味を持ったカップに出会って感激した葛西さんは、その優勝ロットを、単独で落札。しかも、当時のCOE史上最高価格で。
「仕入れ価格はざっと150kgで500万。我に返ってから『何をやってるんだ』とさすがに動揺しました(苦笑)。」
初めてホンジュラスを訪れて以来、「いつか大手のロースターのように、ホンジュラスのコーヒーだけでワンコンテナを」という目標を掲げていた葛西さんは、これを機に「ワン コンテナ ミッション」を立ち上げる。
「ワンコンテナの豆をお店で売っている8oz(226.7g)のパッケージに換算すると、約66,000袋分。我々のようなマイクロロースターが、ひとつの生産国から、トップクオリティのものだけでコンテナを一杯にするなんて、ほんとうに夢のような話なんです。ところが、翌2017年のCOEホンジュラス大会で、早々に達成してしまったんですよね、ワン コンテナ ミッションを」
このときも、大会史上最高値を更新しての、単独落札。素晴らしいコーヒーに感動し、どこまでもビットし続けてしまったと振り返る。
「おかげで、ホンジュラスの生産者との絆は、とても深く、強いものになりました。店でも、ホンジュラスのコーヒーの素晴らしさをお客様に知っていただくために、すべてのブレンドにホンジュラス産コーヒーを使用しています。少しでも多くの人と、感動を共有できたら」
2018年5月。葛西さんは4度目のホンジュラスに降り立った。COEホンジュラス大会への審査員としての参加と、農園をまわってのコーヒーの買い付け、そして、生産者の話を聞き集めることも、旅の目的とした。
旅の3日目に、思い出深いことがあった。現地の旧友にいきなり「ローカルコンペの審査長をやってくれ」と頼まれ、朝から険しい山道を車で3時間、雨による悪路を何度もスリップしながら、山奥の小さな村・ポソデネグロに連れて行かれたのである。
「ホンジュラスのコーヒー農園はあちこち見てまわってはいましたが、こんなところがあるんだ、と驚くような山奥でした。その一帯では、35の小さな生産者が、家族で農園を営んでいました。会場は、COE入賞実績をもつ生産者の自宅。にぎやかに飾り付けられていて、女性たちはきれいにお化粧をして、村中の人が集まっていたんです。並べられたコーヒーは、どれも酸味が爽やかで素晴らしかった。表彰式もやって、最後はみんなでダンスをしました。
最後に、僕を誘った旧友がこう言ったんです。『日本から来たバイヤーが、自分たちのコーヒーを目の前でカップし、評価してくれる。それは、大統領がここへ来て話をするよりも、ずっと価値があることなんだ。みんなとても感謝している。だって、すぐにたくさんの食事が出てきたでしょ?』と(笑)」
そして2020年。年を追うごとに深まっていったホンジュラスとの関係性に、大きな変化が訪れた。コロナショックである。いちばんの輸出先である欧米の経済が停滞するなか、コーヒーの輸出額は例年に比べて半減。生産者たちにとって大きな打撃となった。
窮状を聞いた葛西さんの行動は速かった。すでに買い付けが終わっている分にさらに追加でコンテナを輸入すべく、600万円を目標としたクラウドファンディング「Keeo on Honduras」を立ち上げる。そして、それは18日間で達成されたのである。
「僕の力でできることなんてわずかなこと。でも、僕はいつも、自分ができることの倍以上のことをやろうと思ってここまで来ました。今、ボンジュラスのみんなを支援できなければ、一人前のコーヒーバイヤーとは言えない」
数あるコーヒー生産国の中でも、どうしてホンジュラスに? と尋ねると、葛西さんは少し遠い目をしてこう言った。
「結局のところ、最後は“人”だと僕は思うんです。互いにリスペクトし、思いやるという、かつての日本にはあった“人として当たりまえのこと”が、ホンジュラスには今でも受け継がれている。そこに惹きつけられるんです」
地球の反対側に、素晴らしいコーヒーがある。素晴らしいコーヒーをつくっている人たちがいる。地球のこちら側では、そのコーヒーをていねいに焙煎し、お客さんに提供している人たちがいる。辻堂の小さなロースターと、ホンジュラスの生産者。それぞれに見上げる空は、遠いけれど、確実につながっている。
ホンジュラスのコーヒー生産者を支援するための輸入プロジェクト「Keep on Honduras」
https://camp-fire.jp/projects/view/298096
photo:竹之内健一
岡山県生まれ。 編集・ライター歴20ン年。ジャンルを問わず、「人の話を聞いては書く」日々を続けている。湘南に暮らす。読書、日本美術、磯遊び、スガシカオと藤井風、角ハイボール、小中学生の合唱、暗殺教室と鬼滅の刃、小林カツ代先生のレシピをこよなく愛する。空手黒帯(現在初段)。いつか尊敬する先生の道場を手伝いたいと思っている。
Works/『Precious』『和樂』(小学館)、『日経エンタテインメント!』(日経BP社)ほか。