ようこそ、畑へ。”農”で世界は変えられる

小島希世子さん

野菜農家・株式会社えと菜園代表取締役・NPO農スクール代表理事

1978年熊本県生まれ。慶応義塾大学卒業。神奈川県藤沢市での体験農園・貸し農園「コトモファーム」、熊本県の農家から直送する通販サイト「えと菜園オンラインショップ」などを運営。自治体の就労支援の現場や、農作業を活用した新入社員研修でのプログラム開発・提供も行っている。
農林水産大臣奨励賞(第31回人間力大賞・2017)受賞。
著書に『農で輝く!ホームレスや引きこもりが人生を取り戻す奇跡の農園』(河出書房新社)がある。

“生産の場”と“食卓”の距離を縮めたい

なす、トマト、きゅうり、とうもろこし、おくら、ズッキーニ…。色鮮やかな夏野菜がみっしりと実る畑に、今日も小島希世子さんはいる。晴れの日も雨の日も風の日も、畑に行くのだと小島さんは言う。畑作業を「呼吸をするのと同じくらい、当たりまえのこと」と語る小島さんの仕事は、“農”である。つくりもするし、売りもするし、教えもする。さらに、暗闇の中にいる人を光のあるほうへ導きもする。“農”を通して小島さんがやろうとしていることは、広く、深い。

 

神奈川県藤沢市。縦に長い形をした市の南側は湘南海岸。一方、北部には緑豊かな田園地帯が広がる。小島さんはそこで、野菜農家として年間30種類ほどの野菜をつくると同時に、畑の半分の約200区画を使って、体験農園「コトモファーム」を運営している。日本全国に貸し農園は数あれど、「コトモファーム」は単に野菜づくりの場を提供するのではなく、講習会を開催するなど野菜を収穫できるまで手厚くサポートしてくれるのが特徴で、地元の人のみならず、東京方面からも参加がある。

 

「ひと区画はおよそ7坪(22㎡)。畑づくりは地面を柔らかく耕して、畝をつくるところから始まります。そこに種をまき、苗を植える。子どもだけでなく、大人でも、『野菜の種を見たことがない』『どんなふうに育つのか知らない』という人はたくさんいます」

 

当たりまえのことだが、食は、命に関わることだ。それなのに、私たちは自分が食べているもののことをあまりにも知らない。小島さんの活動の根っこには、「離れてしまった生産の場と食卓を少しでも近づけたい」と、いう強い想いがある。

 

「だれが、どうやってつくったものなのかがわかれば、安心して食事ができる。そのために、私の故郷である熊本の契約農家さんから、栽培法にこだわったお米や小麦、野菜などを直送する『えと菜園』というオンラインショップも運営しているのですが、お客様から思わぬ言葉を聞くことがあります。あるときは、『大根に土がついていた!』とお叱りのお電話をいただきました。そのお客様は、大根が土の中で育つことをご存じなかったんですね。お電話をいただいたおかげで、このときは直接説明することがことができましたが、この経験から、『もっと多くの人に野菜のことを知ってもらいたい』と思い、それが体験農園へとつながっていったのです」

 

そしてさらに、小島さんがつなげようとしているのが、“農”と“職”だ。ホームレスや引きこもり、生活保護受給者など、働きづらさを抱える人たちに農業を教え、社会復帰に向けて支援する活動は、「ホームレス農園」として多方面から注目を浴びている。2011年に始めた就農支援プログラムは、2013年にNPO法人「農スクール」となり、活動の幅を広げている。

 

 

「生産の場と食卓。食べることとつくること。そして“農”と“職”。バラバラになっているものを組み合わせることが、私の役目だと思っています」

熊本の野生児が使命に目覚めた日

 小島さんが生まれ育ったのは、熊本の農村だ。ほとんどの家が農家を営むなか、小島さんのご両親はともに学校の教師で、「どうしてうちだけが農家じゃないの?」と尋ねたこともあるほど、農家に憧れていたという。わんぱくでよくケンカもした。あぜ道で取っ組み合いになり、相手もろとも田んぼにドボーン、も日常茶飯事。

 

「水を張った田んぼに落ちると、ランドセルの中までぐっちょぐちょになるんですよね。教科書とかノートとか、洗って干さなくちゃならなくて(笑)」

 

授業は抜け出す、ピアノの練習は脱走する。そんな“野生児”小島さんが、ある日、偶然テレビで見たドキュメンタリー番組で、使命感に目覚める。小学2年生のときである。

 

「アフリカで飢餓に苦しむ子どもたちの映像が流れたんです。私は強い衝撃を受けて、一緒にテレビを見ていた母に『うちにある野菜を持っていきたい』と言ったら、母は『この国は、地球の反対側にあるから、食べ物を持っていく間に腐ってしまう。あの子たちを助けたいなら、アフリカに行って農業のやり方を教えてあげればいいんじゃない? そのほうがきっと役に立つよ』と。このとき、私のなかに『一生懸命勉強して、将来は農業をやって、世界の飢餓から人々を救うんだ』という固い信念が生まれたんです」

 

小島さんは勉強に励んだ。食糧難の国で過酷な環境下におかれることを想定し、剣道と柔道で心身も鍛えた。大学受験は農学部のある難関に挑むも不合格、浪人して翌年再挑戦もまた不合格となり、最終的に慶応義塾大学環境情報学科へ進学を決め、上京。しかし、なかなか夢描いた“農”に近づけない。社会心理学に興味をひかれて文学部人間科学科へ編入するなど、遠回りばかりした。

 

「このままでは一生農家になれない」

 

 

「今後は、農業と関係のないアルバイトはしない!」と腹をくくった小島さんに、大学の先輩が教えてくれたのが、野菜の卸業の会社でのアルバイト。ここから急激に小島さんは、農業界へのめり込んでいった。社長について農家をまわり、現状を知ると、問題点が見えてくる。「農業がビジネスとして成り立つ仕組みを考えなければ」。小島さんの中で、“農”での起業が現実味を帯びてきたのである。そしてここから、「いつもの猪突猛進」で、オンラインショップ、体験農園、と、チャレンジは続いていったのだ。

ホームレス農園のはじまり

2008年。体験農園「コトモファーム」の前身となる家庭菜園塾を始めるにあたって、小島さんは、あるアイディアを実行する。周囲から「あまりに無謀すぎる」と言われたそのプランとは、「ホームレスをアルバイトに雇う」ということだった。

 

このアイディアが生まれたのには、きっかけがある。それは、熊本から上京してきたばかりのこと。

 

「東京へ出てきて驚いたのが、ホームレスがたくさんいたこと。しかも、道行く人は彼らの存在を気にもかけていない。いろんな疑問がわいてきたけれど、大学の友達に聞いてもよくわからない。それで、思いきって、通学途中でいつも見かけるホームレスのおじさんに話しかけてみたんです」

 

おじさんは「仕事がなく、お金もないためホームレスになった」「働く意欲はあるが、住所も電話もないために雇ってもらえない」と語った。仕事がないからホームレスになる、ホームレスだから仕事に就けない。この悪循環をどうしたら断ち切れるのだろう。

 

そして、数年後に、家庭菜園塾をスタートするにあたって「体験者が来ない平日の間、畑の世話をする人が自分以外いない」という問題に直面したとき、小島さんの頭の中で「働き手を求める農家(=小島さん)」と「仕事を求めるホームレス」が突如結びついたのである。

 

周囲の心配をものともせず、小島さんはこの前例のない取り組みに情熱を傾け続けた。実際にやってみると、“農”と、生きづらさを抱えている人たちとの相性はよく、小島さんは確かな手応えを感じた。過去の自分を知る人のいない畑は、彼らにとって大切な居場所にもなったのだろう。

 

「ホームレスや引きこもりの人たちって、自分で自分の可能性に線を引いてしまい、『できない』と思い込んで、足がすくんでいる状態なんです。必要なのは、小さな成功体験を積み重ねて、『あ、自分はまだまだできるんだ』と思えるようになること。成果が目に見える野菜づくりは、それが体験しやすいんです」

 

小島さんの農園ではNGワードがある。「こうしたらダメ」「こうしないとマズイ」という、相手に「この人の言うことを聞かなくてはいけない」と思わせる言い回しだ。

 

「支援する側、される側にならないように、ということです。『ケースワーカーの言うことをきかないと保護を打ち切られるんじゃないか』『親にはむかったら生きていけないんじゃないか』――。ここでは、そんなふうに人の顔色をうかがったり、選択権を人に委ねたりしなくていい。ちょっとしたことでも、自分で決めることが大切なんです」

 

あるプログラム受講者は、「何を植えるか」と聞かれ、「自分で決めていいんですか」と驚いたように言った。

 

 

「相手の選択を尊重する。それは、互いを認め、多様性を認めることの始まりだと思うんです。その人の人生の主導権は、その人にある。もちろん、こうしたらこうなる、という農の専門家としてのアドバイスはします。でも、それをふまえたうえで、選ぶのはあなただよ、と。結果、失敗することもあるでしょう。でも、“失敗する権利”もありますから。だれだって、生まれながらに“決める”権利をもっている。そのことを知ってほしい」

“農”でみんなが輝ける未来へ

小島さん自身、道なき道を、自ら選択しながら生きてきた。「協調性がないんです」と笑うが、「私の人生なので、私が決めます」、そして「自分で決めたことなので責任もちます」と、転ばぬ先の杖など持たずに、やりたい、と思ったことをやり、自分の想いを、そのまま形にしてきた。

 

小島さんの農園では、肥料や農薬を一切使わない「自然農法」を行っている。除草剤も使わないから雑草がどんどん生えるが、抜きすぎることもしない。刈った雑草は土の上に残しておく。朝露がおりて水分補給になるし、霜も防いでくれるのだそうだ。

 

「土と水と空気と太陽だけで野菜を育てる。とても手がかかります。野菜が育つスピードも遅いし、大きくもなりくい。できた野菜は色や形も不揃いです。でも、一度食べると忘れられない、すごく元気な味がするんです。農薬や肥料を使って効率的に育てられる野菜がエリートなら、うちの農園の野菜は、見た目は多少不格好でも、たくましく健康的な野生児ですね」

 

畑では、色も形もバラバラの野菜が、日差しを受けてピカピカと輝いている。これが本来の姿だ。これが自然なんだ。いろんな形があっていいんだ。わざわざ言葉にしなくても、野菜を見れば、大切なことはしっかりと伝わってくる。

 

小島さんの前には、まだまだ「やりたいこと」が山積みだ。なかでも「海外の飢餓のある地域で農業をやりたい」というのは、ずっと胸に抱いている目標だ。

 

「私のフィールドは、つねに畑。“農”でみんなが幸せになれる未来を実現するために、自分がやりたいと思ったことを、自分のためにやっているだけ」

 

小島さんが耕す畑は、こうしてどんどん、広がっていく


ライター情報

剣持 亜弥

岡山県生まれ。 編集・ライター歴20ン年。ジャンルを問わず、「人の話を聞いては書く」日々を続けている。湘南に暮らす。読書、日本美術、磯遊び、スガシカオと藤井風、角ハイボール、小中学生の合唱、暗殺教室と鬼滅の刃、小林カツ代先生のレシピをこよなく愛する。空手黒帯(現在初段)。いつか尊敬する先生の道場を手伝いたいと思っている。
Works/『Precious』『和樂』(小学館)、『日経エンタテインメント!』(日経BP社)ほか。